【海外体験記】マニラで入院した話

外国で入院すると不安なものですね。

私は40数年前にマニラで尿路結石となり、マニラでその当時一番と言われた病院に担ぎ込まれました。当時は現金を持たないと痛み止め1本打ってくれず、小切手を出しても「これは紙きれ」と言われて取り合ってくれません。
ご経験された方はお分かりでしょうが、この痛みはとても我慢できるものではありません。
家族がマニラに到着してほんの1〜2週間のことで、結局5時間近く病院の通路の移動ベッドに放っておかれました。

体験記

仕事のパートナーであるMr.Aquino(有名な大統領の一族)が電話して支払いの保証が出て、やっと痛み止めのブスコパンが打たれました。
ちょうどラッキーなことに、尿路結石の専門医がアメリカから帰ってきたばかりのタイミングだったので、すぐに麻酔をかけられて結石の処置をしてもらい、麻酔から覚めたときには病室でした。ともあれ、異国での病院はまず現金がないと立ち所に困ってしまうというものすごい経験をしました。

当時はATMもなく、多額の現金はホールドアップの対象で狙われるとのことで持っていませんでした。現在の病院には、数多くの銀行のATMが正面玄関のところに並んでいます。
全ての診断ごとに2,000ペソくらいの診断料を払い、高額なMRIなどは前金です。

ちなみにその時はロンドンのロイド保険でまかないましたが、笑ってしまったのは全額1ドル札で支払ってくれるのです。当時は外貨規制が厳しく、1ドル札、50ドル札、100ドル札のペソの交換レートが異なり、高額紙幣の方が多額の現金を持ち出しやすいので価値があるのです。全部1ドル札で数千ドルを受け取り、苦笑いです。


「マニラで入院した話」より抜粋

清水 大輝

筆者略歴

  • 昭和47年 工学部機械工学科卒業
  • 三井系の機械メーカーに就職
  • 海外製鉄所向けのプラント
    見積もり設計の国際入札の窓口を5年経験
  • ケミカルメーカー
    国内営業を経験後、フィリピン・マニラに駐在事務所を開設
  • シンガポール駐在を経て米国ロスアンゼルスに赴任
  • 米国でデトロイト、アトランタの事業所を開設
  • LAとオハイオに工場を建設
  • ノースアメリカの代表となる
  • 大手自動車メーカーとの取引を10年かけて開始

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