【海外体験記】メキシコシティでの思い出
標高が富士山の6合目くらいあるメキシコシティから延々と東に車を飛ばし、対向車に冷や汗をかきながら、ポサ・リカの街を目指しました。ここは石油が発見されて一気に莫大な投資が行われた街で、本当かは知りませんが「金持ちの街」というのがポサ・リカの意味だとか。
メキシコ湾の海中に巨大なオイルリグ(海上に建てられた巨大なプラットフォーム)が設置され、数千人とも言われる石油発掘技師たちが3か月単位でそこで生活しています。
道中はほとんど何もなく、空きっ腹をかかえてひたすら車を飛ばし、くたくたになりながら石油開発会社にやっと辿り着きました。「海上に点在する巨大なオイルリグに大規模な錆が発生しているので、なんとか我々の技術で対応できないか」との相談です。
海中の錆の状況を映したフィルムを見せてもらいましたが、巨大なサメもいるのでどうやって作業するか。鉄格子内に潜水服を着た作業者が入り、錆びたオイルリグの巨大な鉄柱に錆止めを塗ってUV光線で固める工法は、結局危険すぎるのでやんわりとお断りしましたが。
なんとそこに賄いの日本人女性が住み込みで働いていたのです。どうやって作ったかは分からないのですが「うどんを食べますか?」と聞かれてびっくりしました。メキシコシティからはるか離れたところに日本人女性が住んでいて、食堂の調理をしていたのです。ご主人がメキシコの方で、残念ながら亡くなられ、会社が気の毒に思って食堂の仕事を任せてくれたようです。
メキシコシティは海抜2200mあるため、通常の電気釜では温度が100度に達する前に沸騰します。電気釜ではご飯を上手く炊けないため、みなさん圧力釜で炊いているとのことです。ここポサ・リカは海抜数mの海のそばなので、ご飯も上手く炊けるそう。
そんなことを話のタネに、美味しくうどんをいただきました。
3か月に一度、オイルマンがヘリコプターで街に戻ってくると、陽気な国・メキシコで飲んで食べて踊って、果てしなく大騒ぎとのこと。
それには出くわしませんでしたが、メキシコのマリアッチ(音楽隊)の恋の歌と踊りをしっかりと楽しませていただきました。テキーラの一気飲みには参りましたが。
「メキシコシティでの思い出」より抜粋
清水 大輝
筆者略歴
- 昭和47年 工学部機械工学科卒業
- 三井系の機械メーカーに就職
- 海外製鉄所向けのプラント
見積もり設計の国際入札の窓口を5年経験 - ケミカルメーカー
国内営業を経験後、フィリピン・マニラに駐在事務所を開設 - シンガポール駐在を経て米国ロスアンゼルスに赴任
- 米国でデトロイト、アトランタの事業所を開設
- LAとオハイオに工場を建設
- ノースアメリカの代表となる
- 大手自動車メーカーとの取引を10年かけて開始