【海外体験記】デトロイトでの思い出
交渉相手から言われて、アメリカ人が一番堪えるのは「Un Fair」という言葉です。
私が苦労して10年かかって、アメリカ・デトロイトで取引が始まり、サターンの工場がテネシー州ナッシュビルで完成しました。この街はカントリーウエスタンのメッカで、ほぼ一年中アメリカ中の腕自慢・のど自慢が集まる演奏会場があります。出張で訪問したときは、楽しい夜を過ごしたものです。
さて、サターンの取引が始まりました。当初毎月50tのケミカル、1.9Lのエンジンのための見積もりを出していましたが、蓋を開けると毎月5tの取引となりました。
私も北米の責任者として黙っているわけにはいきません。
担当者は値段交渉のつわもので、GMとの取引をやめるつもりか?などと脅し、威嚇してきます。日本人のサプライヤーは、任期の4〜5年で帰国して大過なく過ごせば、アメリカ帰りは優遇されるという気質をよく知っています。
私は最後に50tの見積もりを出して「その値段で毎月5tは卑怯だ、Un Fair Tradeだ。」とはっきり口にしました。
これには新進気鋭の張り切り購買担当者も黙ってしまい、真っ赤な顔で私を睨みつけ、ずっと考えこんでいました。最後は「自分もGMもUn Fairなことはしない」と言って、白熱のやり取りを称えてくれました。
筋が通ったことなら、アメリカでははっきり言うべきだと自信がついた瞬間です。
ついでにもう一つ、Coward(臆病者)と言うと、おそらく殴り合いになりますので、皆さんご注意ください。
「In Fringe」は、「侵害する」「抵触する」などの意味で使われます。
デトロイトでDr.ロペス旋風というとんでもないことがありました。GMの副社長で人事と購買のトップを務める彼は、GMの各担当者に30%のコストダウンを命じ、出来ないと言うと人事権を発令してよその部署に飛ばしてしまいます。そのため、担当者も必死で、日本の名だたるサプライヤーがこの旋風の犠牲となりました。
忘れもしません。ライト兄弟で有名なオハイオ州デイトンの飛行場からデトロイトまでプロペラ機で一時間、その一週間前から、あらゆることを考えて30%の値下げを回避しようとしましたが、良い考えが浮かびません。飛行機の中で気晴らしにビールを飲み、もう一度いろいろなことを反芻していきました。デトロイトの空港上空でプロペラ機が着陸態勢に入り、街並みが見えてきました。その時、ハッとある考えが閃きました。
以前LA滞在時に、LA Timesで読んだ記事を思い出したのです。
アメリカでは、何人も赤字で出荷できないと独禁法で定められています。これは、巨大資本の会社が弱小の会社を潰すために、相手が倒産するまで赤字出血で値段競争を仕掛けたことがあり、自由競争の妨げになるとの反省から作られた法律でした。
このことを私は新聞で読んでいました。自由競争の国・アメリカでは、巨大資本も弱小資本も皆同じ土俵で競争し合うということです。
「やった!」これを思いつき、レンタカーを借りて、ウキウキしてGMの購買部に乗り込みました。担当者は私がニコニコしているので、ちょっと調子外れのようでした。
さて、交渉の始まりです。GMにとって、これは全社的な活動で決して思いつきや業者泣かせでやってはいないなどの建前論をとうとうと述べています。そして「日本の各社はほとんど同意してくれた、御社も当然協力すべきだ」との結論をもう用意していました。
最後に、私が「この国最大の自動車メーカーでも、アメリカ合衆国の法律を破って商品を出荷させるなんてとんでもない」と述べると、担当者は一瞬、この男は何を言い出すのだという顔をしました。私は「In fringe the law of united state which is called Dumping low.(周辺地域ではダンピング・ローと呼ばれる米国法が適用される。)」と、In Fringeという言葉をこの時使いました。
「GMと言えど、合衆国の法律に抵触することを私に押し付けることはできない」とはっきり拒否しました。相手は完全に虚をつかれたようで真っ赤な顔になり、しばらくお互いに沈黙です。最後に「30%は諦めるが、どのくらいなら良いのか?」と私にお願い口調となりました。最初の勢いはもうありません。
3%だと勿体をつけて返事をすると、相手は真っ赤な顔です。でも彼はあっさりと引き下がりました。別れ際、お前は大したもんだと私を讃える握手でした。
オハイオ州シンシナティに戻り、日本人の集まりでこの話をすると「なんでもっと早く教えてくれなかったのか」と皆から言われました。デトロイトの空港に着陸する寸前に思いついたことを話すと、やっと納得してくれました。
「デトロイトでの思い出」より抜粋
清水 大輝
筆者略歴
- 昭和47年 工学部機械工学科卒業
- 三井系の機械メーカーに就職
- 海外製鉄所向けのプラント
見積もり設計の国際入札の窓口を5年経験 - ケミカルメーカー
国内営業を経験後、フィリピン・マニラに駐在事務所を開設 - シンガポール駐在を経て米国ロスアンゼルスに赴任
- 米国でデトロイト、アトランタの事業所を開設
- LAとオハイオに工場を建設
- ノースアメリカの代表となる
- 大手自動車メーカーとの取引を10年かけて開始