「アメリカとアジア 太平洋をはさんで想うこと」4/9
ということで、私たちは日本に訪問をして、各社の購買部の導きで設計部にプレゼンを開始です。
東京に着いてすぐに、麻布のアメリカ商工会議所の会頭にご挨拶です。
アメリカ商工会議所の会頭に「合衆国のために頑張ってくれ」などと激励を受け、ちょっと複雑な気持ちです。
私に気を遣い、東京の快適なホテルから出発です。東京を起点に茨城、横浜、名古屋、広島、そして京都です。まさに珍道中です。どの土地に行っても、売り込み側がこんなに大接待を受けるのですから。なにしろ米国通商部と当時の通産省の肝いりでアメリカから売り込みをかけているわけですから、どこにいってもすごい接待を受けるのです。デールもドルビンも、日本の会社はなんで自分たちをこんなに接待をしてくれるのか理解できないようでした。すごいご馳走です。ついに彼らから「ハンバーガー食べたい」と本音が出ます。慌てて私はマックのお店を探します。
広島で原爆ドームに行き、その原爆博物館を見学した夜は彼ら2人は、さすがに夕食をとりませんでした。心やさしきアメリカ人です。
そして冒頭の京都の夜になるのです。
お前にすっかり世話になったから今日はご馳走してやる。ついては京都の一番のステーキハウスにつれて行ってくれという頼みです。(私をダシにして本当は自分たちがステーキを食べたかったのでしょう。)
ホテルで聞いて、京都でも有数のステーキハウスに出かけました。
散財させても気の毒ですから、レストランに入る前に店先でメニューを見せてもらうことにしました。3人で当時のUSドルになおして1000ドルくらいかかると予想されました。
「これくらいかかるけど良いのかい」と私。ドルビンが思わず「それは牛一頭の値段か」と私に質問です。
3人でステーキ大きめが一枚づつ。そして前後のスープやサラダなどなどの説明をしたら、すかさずデールが「1000ドルあったらデトロイトで牛が一頭買えるぞ」と言います。考え込んでしまいます。3人の決断は仕事以上に早くて、すぐに他のところを探そうです。
仕方がないから京極のすき焼きの店に入り、客単価を確認してすき焼き鍋です。これが大正解。
2人ともこんなにうまいビーフの食べ方ができる方法を発明した日本人は偉いです。ほっとしました。
清水 大輝
筆者略歴
- 昭和47年 工学部機械工学科卒業
- 三井系の機械メーカーに就職
- 海外製鉄所向けのプラント
見積もり設計の国際入札の窓口を5年経験 - ケミカルメーカー
国内営業を経験後、フィリピン・マニラに駐在事務所を開設 - シンガポール駐在を経て米国ロスアンゼルスに赴任
- 米国でデトロイト、アトランタの事業所を開設
- LAとオハイオに工場を建設
- ノースアメリカの代表となる
- 大手自動車メーカーとの取引を10年かけて開始
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