「海外オペレーションと今後の語学学習の考え方」2/7
さて、今日の本題です。海外オペレーションのアドバイスということで、今日はデトロイトのBig3(GM、Ford、Chrysler)を通して経験したことを骨格としてお話を進めていきます。
まず、アメリカのビジネスマンにとって一番言われたくない言葉があります。
それは”Unfair”という言葉です。これを言われると最もショックのようです。
喧嘩言葉では”Coward”(臆病者)ですね。
Big3といっても当時のスケールで4:2:1の大きさです。GMのデーラー数が16000軒、フォードが8000軒、クライスラーに至っては4000軒です。これは当時の数字です。当時日系のメーカーのデーラーが2000軒でしたので大きな差です。まだクライスラーにはロケット部門と戦車部門がありました。
そして、あの一世を風靡したジープのアメリカンモーターがありました。ですからその時代はBig3+1の時代ですが、その昔の自動車会社は、元々が馬車の製造会社からの転業で5000社近く自動車会社があり、それが100社となり最後に3社になったという歴史があります。
アメリカンモーターはクライスラーに合併されて、フォードを首になったアイアコッカ社長がフォード時代の秘書を連れて単身乗り込んでいき、ロケット部門、戦車部門を整理して身軽にした上で、世界一の技術と言われる4輪駆動の技術を駆使して世に出したのが名車チェロキーです。SUVの走りです。このチェロキーの天上部に機関銃の台座がついているのを北京ジープCompanyでみたことがあります。この大ヒットでクライスラーは息を吹き返しました。CTC(クライスラーテクニカルセンター)はまるで一つの街のような巨大な建物を建設しました。
あこがれのBig3ですが、あこがれだけでビジネスができるほど甘くはありません。
LAからデトロイトまで4時間の飛行機に乗り、3時間時差があるから朝の飛行機がデトロイトに到着したころにはもうあたりは薄暗くなっています。乗客は誰もチェックインラゲッジなどしていません。どんどん駆け足でいくのです。
私とほんの少しの人がのんびりとラゲッジを取ってレンタカーのオフィスに行くと、もう車がないと言われました。
のんびりと予約もなしで行くのが大間違い。やっと調べて一台残っていました。
小型のピックアップトラックのレンタカーでした。それが私のデトロイトデビューの強烈な思い出です。
清水 大輝
筆者略歴
- 昭和47年 工学部機械工学科卒業
- 三井系の機械メーカーに就職
- 海外製鉄所向けのプラント
見積もり設計の国際入札の窓口を5年経験 - ケミカルメーカー
国内営業を経験後、フィリピン・マニラに駐在事務所を開設 - シンガポール駐在を経て米国ロスアンゼルスに赴任
- 米国でデトロイト、アトランタの事業所を開設
- LAとオハイオに工場を建設
- ノースアメリカの代表となる
- 大手自動車メーカーとの取引を10年かけて開始
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