【海外体験記】ロサンゼルスと深圳での思い出

17年間のアメリカ勤務後、香港に赴任となりました。1998年4月、香港が中国に返還された約一年後の話です。
まだ啓徳空港が使用されており、アメリカから日本を乗り継いで香港に行きました。あの狭い空港に降りるときは、さすがに目が覚めて冷や冷やしたものです。
まるでビルの谷間を縫って着陸するような思いで、人によってはビルの洗濯物が見えるとも言います。

さて、香港から中国・深圳の街まで電車で1時間。偽物やコピー商品などなんでもありの街です。
お客様への挨拶まわりをしていると、客先訪問の合間に時間が空きました。深圳には、電子城と呼ばれるパソコンをはじめとするあらゆるものを取り扱っており、その頃DVDやCDプレーヤーが香港で結構な値段で売られていました。
どうやら駆動部だけは日本製のものが混じっており、結構耐久性があって使用に十分耐えられるものでした。値段交渉で彼らの言い値の50%オフから始めて、65%くらいで交渉が成立しました。

箱に入れるのを待っていると、店主がしきりに「それでお客さん、メーカーはどれにしますか?」と聞いてきます。「メーカーも何もこの商品に決めた」と伝えると、事情に詳しい弊社の香港の社員が説明してくれました。奥から店主が持ってきたのは、シャープ、SONY、Panasonicなどのプラスチックのエンブレムで、その一つを選べというのです。
決まると接着剤で貼り付けて、これで日本メーカーのDVDプレーヤーの偽物が出来上がりです。あっけにとられて笑ってしまいました。

また、現在はマニラに住んでいますが、何か物事を頼むと、その返事に「Copy」という単語が返ってきます。
正しい英語かどうか、早速ニューヨークに住む息子に聞くと、どうやら軍隊英語から派生したのではとの返事。「Take note」と言うよりも「Copy」の一言で、しっかりと自分の脳に記憶したという意味になるそうです。

体験記

「Look quite alike」は「よく似ている」という意味で、「All the brothers look quite alike(兄弟はみんなよく似ている)」といった使い方をします。

1980年後半からロサンゼルスに赴任しました。セールスマネージャーのL君は、結構なハンサムガイで気の良いイタリア男です。彼のガールフレンドは、かなり歳の離れた元職場の女性上司で、色々あって給与の高い彼女が職場に残り、若手の彼が転職したと聞いています。

休みに貿易懇話会でソフトボール大会があるので、練習試合をやりました。そのときL君の兄弟が来たのですが、全然似ていません。アメリカは養子が多いのでそうではないかと思っていましたが、彼は「皆から言われるが本当の兄弟だ」と説明していました。父親がハンサムなアイリッシュ、母親がイタリア系で、兄弟でどちらに似るかで全く雰囲気や顔つきが違うとのことでした。
彼は誰がどう見ても気の良いイタリア男で、兄弟はアイリッシュの血が強いとのこと。ロサンゼルスで最初に勉強しました。ちなみに、彼の本家はモンタナ州にあり、そこの人口密度は2.9人/キロ平米で、人間の数より牛の数の方が多いそうです。

ロサンゼルスの貿易懇話会の団体は、全米最大の日系企業の集まりです。そこのソフトボール大会はみんなものすごく熱が入り、私の赴任の前年にはなんとあの有名な投手がジャイアンツに入る前にこの大会に出ていたそうです。
私の会社は人数が足りず、野球をやったこともない私がなんと捕手をやらされました。

某銀行には元阪神タイガース所属の有名外人L選手や、はたまたドジャーズのテスト生だった100kgを超える白人の大男がいました。
ものすごく運の悪いことに、捕手をしている私にサードからその大男が本塁突入してきて、私は本当に宙を舞うという言葉通り飛ばされました。みんなあっけにとられ、野球どころか私の無事を心配していましたが、なんと審判の判定はタッチアウト。みんなが私を讃えてくれて、野球で生涯最初で最後の経験をしました。
ちなみにその年、なんと我が社は初優勝を飾るのです。地元の新聞「羅府新報」にでかでかと取り上げられました。


「ロサンゼルスと深圳での思い出」より抜粋

清水 大輝

筆者略歴

  • 昭和47年 工学部機械工学科卒業
  • 三井系の機械メーカーに就職
  • 海外製鉄所向けのプラント
    見積もり設計の国際入札の窓口を5年経験
  • ケミカルメーカー
    国内営業を経験後、フィリピン・マニラに駐在事務所を開設
  • シンガポール駐在を経て米国ロスアンゼルスに赴任
  • 米国でデトロイト、アトランタの事業所を開設
  • LAとオハイオに工場を建設
  • ノースアメリカの代表となる
  • 大手自動車メーカーとの取引を10年かけて開始

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