「アメリカとアジア 太平洋をはさんで想うこと」1/9

それは京都の夜でした。10日間にわたる日本の自動車メーカーへの米国製部品の売り込みツアー最終日のことです。
デトロイトで有数の部品メーカーの社長のデールと営業マネージャーのドルビンと私で、日本最後の京都の夜を楽しんでいました。ドイツ系移民の息子のデールはとんでもなくIQが高い男です。そのうえ仕事熱心です。そして日本の自動車メーカーの上層部の心をつかむ天性のものがあります。

実際、デールの技術説明にかかると、日本の技術陣のお歴々は不思議なくらいみんな納得してしまうのです。天性の人を技術で説得できるもの-もちろん技術者として超一流なのはもちろんですが、それ以上のものをもっているのです。

そのデールからしみじみと礼を言われたのです。

「ありがとうよ。Daiki(私の名前は米国ではこの名前がそのままニックネームとなっていました。)お前のおかげで俺の取り分がこれだけ増えた。」

その数字を聞いて、私は酔って聞き間違ったと思ったもので、再度聞き直しました。日本円に直すと確か百億円単位の金です。大きな任務を果たして安心して酔ったあげく、彼の口から出た言葉です。

アメリカとアジア 太平洋をはさんで想うこと

「俺たちの会社は、10数年前に現経営陣10人で前のオーナーから会社を買い上げた。(いわゆるMBOマネージメントバイアウト)
俺たちの努力で米国のビック3とすべて取引ができた。そしてお前のおかげで、日本のビック3ともどうやら取引が始まりそうだ。これで会社の価値がこれこれ値上がりした。そして俺の取り分がこれだけになる。」

酔っぱらったデールは、とうとうと数字を並べ立て始めました。インデアナの名門大学から、化学の大学院卒のデールは、もともと数字にめっぽう強い男です。日本の自動車メーカー相手の技術説明会のときも、滔々と数字が出てくるのです。多分これは学生時代に、定性的に説明をしないように徹底的に教育を受けた証拠だと思います。(技術者は常に定量的に説明をする)
これはコロンバス、オハイオにあるバテル研のドクターたちも全く同じスタンスでした。そのあたりの基本教育がしっかりとしていたのだと思います。

日本の自動車メーカーの設計陣を相手にプレゼンをしても、あらゆる質問によどみなく答えをその場で出します。それを逐一私が通訳していくのです。各所で全部で10回以上のプレゼンをしましたが、全部その場で答えを出していたのです。(日本のメーカーの場合、それは一旦持ち帰って後日回答を出す。そのようなまだるいことは一切ありません。)

私は酔ってはいましたが、何故か妙に頭が冴えわたって、京都の夜の星空が素晴らしくきれいだった記憶があります。

そうか、それで分かった。私がデールのデトロイトのオフィスに、朝7時に電話を入れても夜の11時に電話を入れても、彼は自分の部屋で仕事をしていた理由が。
自分のゴール(会社を大きくして売り抜けるという目標)に向かってラストスパートをかけていたのでしょう。


「アメリカとアジア 太平洋をはさんで想うこと」より抜粋

清水 大輝

筆者略歴

  • 昭和47年 工学部機械工学科卒業
  • 三井系の機械メーカーに就職
  • 海外製鉄所向けのプラント
    見積もり設計の国際入札の窓口を5年経験
  • ケミカルメーカー
    国内営業を経験後、フィリピン・マニラに駐在事務所を開設
  • シンガポール駐在を経て米国ロスアンゼルスに赴任
  • 米国でデトロイト、アトランタの事業所を開設
  • LAとオハイオに工場を建設
  • ノースアメリカの代表となる
  • 大手自動車メーカーとの取引を10年かけて開始

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