「アメリカとアジア 太平洋をはさんで想うこと」6/9
話が脱線しますが、息子が卒業したスタンフォード大学の大学院のコンピューターサイエンスでは、ITの会社2社と投資銀行の3つどもえで採用した学生に、50万USドルの支度金を用意した年がありました。
息子は後輩のリクルートにパロアルトまで任地の日本から出向いています。息子の専門はシミレーションエンジニアリングでペンタゴンの仕事(宇宙に衛星を打ち上げるシャトルに人工衛星を積んでそれの無人制御。いわゆる宇宙の宅急便です。世界最強の空爆システムなどの開発に参加してその会社からマサチューセッツ工科大学の授業料が出ていました。)をしていましたが、永住権と日本のパスポートではこれ以上の開発にタッチできないところまでいき、米国籍を取れとの要請が出ていました。危ういところで私がストップをかけたところ、奨学金はその時点でストップです。
いろんな開発コンテストに応募して、最後にアップルの開発コンテストに応募して見事に優勝です。すぐにスタンフォードの大学院から面接に来てほしいとの要請があり、そちらに乗りました。MITの教授から相当に引き留められたそうです。その間すべての経費はお父さんです。
そしてYouTubeの創業者が1600億円で会社を売りました。息子の大学院の同級生です。こんな現象が起こるともう日本国株式会社、終身雇用の存在場所はなくなってしまいます。
酒が入ってぐちゃぐちゃ言っているうちに、デールの親父さんの話になりました。敗戦国ドイツからの移民です。インデアナの田舎の土地を買い受けしっかりと開墾をした。そして、デールを名門大学に行かせてくれた。大学院は働いて金をため、奨学金をもらいテキサスの大学院です。
アメリカの農家はみんな俺の親父のように開墾した農場や牧場に価値をつけて最後は売り抜けるのを楽しみにしていると。そしてフロリダでのんびりと余生を楽しむ。
思わず私は彼に、日本で農家の土地を売ることを田んぼを分けるから「田分け」と呼ぶんだ。「田分けもの」という言葉を説明しました。
デールは大笑いです。それならアメリカの百姓はみんな田分けものだなと。
清水 大輝
筆者略歴
- 昭和47年 工学部機械工学科卒業
- 三井系の機械メーカーに就職
- 海外製鉄所向けのプラント
見積もり設計の国際入札の窓口を5年経験 - ケミカルメーカー
国内営業を経験後、フィリピン・マニラに駐在事務所を開設 - シンガポール駐在を経て米国ロスアンゼルスに赴任
- 米国でデトロイト、アトランタの事業所を開設
- LAとオハイオに工場を建設
- ノースアメリカの代表となる
- 大手自動車メーカーとの取引を10年かけて開始
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